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ちょぃと、モテルだとかモテナイだとかについての文章を見て思った。
その程度の価値観を主体として何が楽しいか?
とね。

現実的に、ルックスの良い悪いは在るだろう。
良ければ、良いでそれを上手く使う方法も
それで損をするケースも在るだろう。

悪ければ、別段良い事は無いだろう。
評価として、世の中悪いと言った事が認められるなんて
それこそ、音楽の中の、ロックだのパングだの
つまり、一表現としての逆手に取った技以外に無い。

そして、モテナイと言った事を逆手にとった自己表現として
行っているのだろうね。

浅ましい。

音楽が、芸術等で、在れば其の中に技術や
奇異なオリジナリティが存在する。

まぁ、それも初めての行った人間のカリスマ性から
社会に認められた為に、在りだと言える部分が出てきたのだろうが

そして浅ましいと言う事自体が浅ましい事も在る。
その人間にでしか判らない、境遇を考慮した上での発言では無いからだ。

その人間が抱いている大きなコンプレックス。
それを消化する為の、ある種のプロセスなのかも知れないから。

ただ、それだとしても浅ましい可能性は否めない。
私には、その行為の感情を知る術は無い故、浅ましいと思う事自体が
浅ましい可能性が有してしまうが、それはどんな状況下においても
同じであろう。

早い話が、尺度の違いだ。
見解の違いだ。

だとしたらば、その中で浅はかで無い行為とは
人に認めさせる事か?それとも行わない事か?

否、違うだろう。それは行って後悔の念をひきづらない行いだろう。

後悔に近い様な念が、その評価に固執しているのだろうから
その念を断ち切る事が一つの解決策なのかも知れないだろうから

唯、それを解決してしまった先に
何が残っているのか

自身を評価する上で、他者を根底とした上で
自身を根底とした上で

どの様に評価を下すべきか。

それは、実際の所、多種多様である種図りきれない事の方が大きいだろう。
だが、図ろうとした事こそが、ある種ロジック、ルール、方式、

色々な物へと昇華されていったのであろう。